37 Photo
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十月十日、体育の日、快晴、今日は町の運動会が行われ、田所さんのところでも弟の安彦くんが、地域の小学六年生による応援団の一員として、一日中大きな声をあげて声援しました。安彦くんが太鼓をたたきながら、声をかけます。「1拍子用―意!」。ドン,ドン,ドン。「2拍子用―意!」。ドンドン,ドンドン。「3拍子用―意」。ドンドンドン、ドンドンドン。という具合です。夕方には声がかれて、「おかあさん、のどあめない?」と聞いてきました。
妙さんも地域のマイクロバスで応援団のこどもたちと一緒に,朝早くから行ってしまいましたので、田所さんは兄の高彦君と一緒に朝食をとり,簡単に片付けをしてから,運動会を見に行きました。数年前に兄の高彦君も応援団で声を張り上げました。今度は弟の番です。ときの流れはほんとうに速いものです。今年の応援がどんなふうか楽しみです。なにしろ地区の会館で何日かかけて、夜練習をしたのです。おそろいの服を着て、男の子は長いはちまきをし、女の子はきれいなボンボンというのでしょうか、丸いひらひらとしたものを手に持って踊るのです。きっとかわいいでしょう。練習の話はよく聞いていましたが見るのは当日が初めてです。
会場は町の丘の上の運動場です。車を下の方の駐車場に止めて、丘を上っていきます。交通整理の方々が旗を振って誘導したり、もうかなりにぎやかです。途中で田所さんの地域の駐在所の大場さんがいました。「今年も走ったんですか」と伺うと,今年は走りませんでした、とのこと。大柄の大場さんは体に似合わずと言っては失礼ですが,走るのが速いのです。それで仕事が当日大変忙しいのですが、地域代表として走ることもあるのです。
丘の上のからはにぎやかな音楽が流れてきます。場所はすぐにわかって,知っている方にあいさつし、椅子に座るとちょうど女の子たちが応援を始めるところでした。
ラジカセから流れる地域だけの音楽に合わせて、元気よく楽しそうに踊り始めました。さすがによう練習しただけあって、ひいきめにではなく、ほかの地域の応援より断然際立っています。田所さんは今日はカメラを持ってくるのを忘れてしまいました。車の途中で思い出したのですが、戻るのも少し億劫でしたので,そのまま来てしまいました。応援を見るとすぐに、ああこれは写真に撮ってあげなくては、と思いました。妙さんが手を上げて,こっちに座ったらとうながしていますが、田所さんはそのまますぐ家にもどって,カメラを持ってこようと思いましたので、ここでいいよ、と手で座っている椅子を指差しました。
車で戻って、会場に戻ると,今度は男の子・女の子総出で応援をしています。プログラムの隙間を縫って前に出ては,田所さんはこどもたちの楽しそうな応援風景をカメラに収めました。ファインダーをのぞきながら、このカメラでたくさん写真を撮っていたころのことをふと思い出していました。それは田所さんが聴講生として,大学で歴史を中心に学んでいたころ、ときどき奈良と京都に出かけていたのです。
田所さんは特に冬の奈良が好きでした。田所さんがよく泊まった所は、宿代が安かったのですが、夕食がなかったので外から帰ると少し休んだ後、外へ食事に出かけるのでした。「わらびもちー」と独特の口調で売って歩くわらびもち屋さんの声を遠くに聞きながら,田所さんはその日一日の自分なりの勉強の成果を振り返りながら、思いはいつか自らの生き方へと移っていくのでした。東京の西郊とはいえ、それなりにあわただしい日常をしばらく離れて奈良という千年の単位の懸隔の中に身を置くと、忘却の淵に沈んだような思いがふと浮かび上がってくるのでした。室生寺の急な階段を上り、仏像に相対しているとき、きっと多くの人が思うように、田所さんも、これらの仏像の存在の長さに比べて自らの生のつかの間の理知がいったいどこに位置づけられるのか、茫漠とした思いになるのでした。それでも田所さんが歴史についての勉強を続けてこられたのは、田所さんに歴史を教えてくださった山野先生のおかげでした。たぶん誰でもが持つ人生の途上での深淵に似た懐疑に対して、先生はそうした懐疑を認めながらしかもゆっくり歩む方途をいつにまにか指し示してくださっていました。二月の底冷えのする奈良の古びた喫茶店で、先生はその店をずっと以前から訪れていたことを話しながら、それ以上特に学問の話をするわけでもなく、一日の疲れに熱いコーヒーをすするのでした。
田所さんは奈良を訪れるとき、ほとんど必ずカメラを持っていきました。ニコンのF3、レンズはニッコールの50mmでF1.2、今はもうカタログにもないようですが、非常に明るいレンズなのでいつもフラッシュなしで写していました。先生と醍醐寺を訪れたとき、その受付で先生が私のほうには背を向けて、かかりの人に訪問を告げていたとき、田所さんは裸電球の明かりの中にたたずむ先生の姿をカメラに収めました。その構図をもう二十年近くも経ったというのにはっきりと覚えているのです。それは田所さんが写したものの中の心にしみる数少ない写真の一枚になっています。
写真は寡黙でありながら人にときに全的な記憶を呼び覚まさせます。その奈良の時代から幾ばくかの年月を経て、田所さんは妙さんの写真を撮り、二人のこどもの写真を撮るようになりました。兄の高彦くんは高校に進み、弟の安彦くんも今年はもう小学校の最終学年になりました。こうして町の運動会での安彦くんの応援風景をファインダーの中に見つめていると、一人の生涯は、千年の仏像はおろか一台のカメラにももしかしたら比肩しないのではないかと、それは決して落胆でもなんでもなく、素朴に思えてくるのでした。