25 Foreign Language
25 外国語
妙さんは新しい外国語を勉強しようかと思っています。妙さんは車で会社に通っていますから、あらためて運転の時間を有効に使いたくなったからです。大学の第二外国語でドイツ語を学びましたが、文法も含めて今ではほとんど忘れてしまっています。ただ外国語の勉強は大事だと思っていますし好きでもありますから、毎日夕食の準備をしながら、ラジオで英会話の講座を聞くのは、妙さんの大切な日課の一つになっています。
夏も半ばを過ぎたある日の夕食の後で、紅茶を飲みながら妙さんはこんなふうに田所さんにたずねました。
「秋になったら新しい外国語を始めようと思うんだけど、何がいいと思う」
自分が勉強するのではないのですから、これはかなりむずかしい質問です。でもこういう質問は二人の間ではよくなされます。実力はともかく、田所さんが歴史や外国語が好きなことを妙さんはよく知っているからです。質問といえば、かつてこんなことがありました。
二人の兄弟がまだ小さかったころ、隣の市の書店に行くと、そこに自動式のクイズチャレンジ機が置いてありました。全問正解を二回続けると、外国旅行ができるのです。ここまではちょっと自信がありませんが、七問正解が二回だと、五百円の図書券が一枚もらえるのです。兄弟はこういうチャレンジが大好きです。それにこのくらいならなんとかできるかもしれません。兄弟が力を合わせて解答するわけですが、むずかしいところは田所さんが手伝います。
一度だけですが、途中まで全問正解で進み、みんなどきどきしましたが、最後から二問目で間違えてしまいました。ほんとうに惜しいことでした。しかし田所さんはそんなにがっかりはしませんでした。田所さんは実は飛行機が苦手だったのです。図書券は確か二回くらいもらいました。これでおとうさんの実力が幼い兄弟にもわかってもらえました。
「ふうん、おとうさんもなかなかすごいんだね」
二人はそんなふうに評価してくれました。
田所さんにしてもこれは楽しい経験でした。でも逆に自分の弱点もよくわかりました。料理の材料とか金融や経営の細かい知識はほとんど手が出ませんでした。歌やファッションの現代の流行も苦手でしたが、これはもう仕方がなかったでしょう。
そんなわけで、田所家のシンクタンクとしては、妙さんの質問にも答えなければなりません。少し考えていると、妙さんが「フランス語やドイツ語でもいいんだけど、一度もうしてるしね」と言います。確かに一度したのです。田所さんもなにかの機会に妙さんが勉強したドイツ語のテキストを見せてもらったことがあります。大掃除のときだったかも知れません。小型のテキストにこまかに日本語訳が書きこんであります。
「ふうん、よくやってたんだね」
「でももうみんな忘れちゃったわ」妙さんはあっさりしています。
フランス語は自分で独習したようです。そのテキストも一度見たことがあります。田所さんがそんなことを思い出していると、妙さんが、「中国語は漢字ばかりでむずかしそうだしね」と続けます。
「それじゃあ韓国語にしたら」とふとそう思いました。「韓国なら近いし、そのうちみんなで行けるかもしれないよ」
韓国語なら田所さんもかつて少し勉強しました。より正確には、二十代で「朝鮮語」を、三十代で「韓国語」を勉強したのです。教えてくださった二人の先生はともに若くして亡くなりました。なにかパイオニアの宿命のようなものを田所さんは今も感じています。
二十代で朝鮮語を勉強したとき、学習書はまだ数えるほどしかありませんでした。辞典も養徳社のものを除いたら、普通の本屋さんでは宋支学先生の小さな辞典が一つあっただけでしょう。田所さんが使ったテキストも宋先生の『基礎朝鮮語』でした。三十代で韓国語を勉強したときは、学習書も辞典ももうたくさん出まわっていました。
朝鮮語を教えてくださった樫町先生は、朝鮮史が御専門でした。昼間大学の非常勤講師として朝鮮語を教え、夜は定時制高校の先生をなさっていました。朝鮮語の文法を説明されるとき、「ロシア語文法を援用する人もいるんですよ」と述べておられたのが印象的でした。朝鮮語研究史の忘れがたい一面でしょう。
三十代で韓国語を学んだとき、もちろんもうそういう説明はありませんでした。そのかわりに単純化すれば、伝統的な文法と新しい文法とが出てきていました。田所さんはどちらかというと伝統的な文法で学びました。教えてくださった長田先生が分厚い韓国の資料を参考にしてくださっていたのをおぼえています。同時に新しい文法体系による成果も整い始め、その整然した説明による辞典や学習書も本屋さんに現われるようになっていました。
長田先生は優しく静かで、田所さんは先生に深い敬意を抱いていましたが、こと学習に関してはたいへん厳しいところがありました。ある日の授業で田所さんは鼻音を含むフレーズを発音することになりました。出ている学生の数が少ないのですぐにあてられるのです。ところが田所さんが何回読んでも先生はよしと言ってくださらないのです。それまで発音であまり悩まなかった田所さんは困惑しました。とうとうその場では先生は田所さんの発音を認めないままに終わり、次の学生へと移って行きました。「韓国語の鼻音はむずかしいから」という先生のことばが今もはっきりと残っています。
妙さんは紅茶を飲み終えながら、「ありがとう、おとうさん。それでかなりいいと思うけど、もう少し考えてみるわ」と言って、どうやら韓国語を選ぶことにかなり大きく傾いているようでした。